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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)5690号 判決

反訴原告

長渡和幸

反訴被告

桑野三千代

主文

一  反訴被告は、反訴原告に対し、金二一三万五四一三円及びこれに対する平成元年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三〇分し、その一を反訴被告の負担とし、その余を反訴原告の負担とする。

四  この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  反訴請求の趣旨

1  反訴被告(以下「被告」という。)は、反訴原告(以下「原告」という。)に対し、金九八七二万九五一五円及びこれに対する平成元年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  反訴請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

次の内容の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 平成元年七月二一日午前〇時二五分ころ

(二) 場所 大阪市平野区瓜破四丁目一番先の、交通整理の行われていない交差点(以下「本件交差点」という。)内

(三) 加害車 被告所有・運転の普通乗用自動車(なにわ三三そ六八四四号)

(四) 被害車 原告運転の普通乗用自動車(なにわ五六の二五五三号)

(五) 態様 本件交差点を北から南へ直進しようとした加害車の前部が、本件交差点を西から東へ直進しようとした被害車の左側面に衝突し、これにより、被害車は南東方向に約一〇メートル斜走し、本件交差点南東角の歩道を越えた駐車場に停車中の普通乗用車に衝突して停止した。

(六) 受傷内容 原告は、頭部外傷、外傷性頸部症候群、左下腿・左足関節打撲、腰部挫傷の傷害を受けた。

2  責任原因(自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条本文)

被告は、自己のために加害車を運行の用に供していた者(運行供用者)であり、その運行によつて原告に右(六)記載の傷害を負わせた。

3  原告の入通院経過、症状固定時期及び後遺障害の内容

(一) 入通院経過

原告は、回生会藤田病院に、平成元年七月二一日(本件事故日)から同月三一日まで入院(一一日間)し、同年八月一日から同月一四日まで通院(実通院日数八日)し、翌一五日から同年一〇月一八日まで再入院(六五日間)した後、宮崎市所在の押川整形外科医院に、同日から同年一二月一八日まで入院(六二日間)し、同月二七日まで通院(実通院日数一日)するとともに、日向市所在の大久保外科胃腸科医院に同月二一日から平成二年一月四日まで通院した。その後、前記の回生会藤田病院に同月八日から同年九月八日まで通院(実通院日数一二九日)した。

(二) 症状固定時期及び後遺障害

原告には、次の後遺障害が残り、平成二年九月八日、症状固定した。すなわち、左上肢、躯幹及び下肢の知覚鈍麻と腱反射の亢進のほか、後頚部痛、左上下肢に強度の疼痛が生じるため頚椎装具の装着が常時必要な状況にある。又、左下肢の放散痛のため一〇分間以上の歩行が不能である。右後遺障害は、自賠法施行令別表の後遺障害等級表に照らして七級五号、一〇級一一号(少なくとも一二級七号)を併合した併合六級に相当する。

4  損害

(一) 治療費 二九八万四八六三円

(1) 回生会藤田病院における平成元年七月二一日から同年一〇月一八日までの間の治療費 一七七万一五五〇円

(2) 押川整形外科医院における治療費 一一三万六四五〇円

(3) 回生会藤田病院における平成二年一月八日から同年九月八日までの間の通院治療費 七万三八七〇円

(4) 大久保外科胃腸科医院への通院治療費 二九九三円

(二) 入院雑費 一七万九四〇〇円

一日当たり一三〇〇円として前記入院日数の合計一三八日分。

(三) 交通費 一一万一五九〇円

(1) 回生会藤田病院入退院時のタクシー代 四五〇〇円

自宅と右病院間のタクシー代は一五〇〇円であり、前記のとおり三回分を要した。

(2) 回生会藤田病院への通院バス代 五万四八〇〇円

自宅と右病院間の一往復のバス代は四〇〇円であり、前記通院日数一三七日分。

(3) 押川整形外科医院入退院等の費用 四万六二九〇円

原告は、ブロツク療法の高名な医師が押川整形外科医院において、交通事故による患者の治療に非常な成果を挙げていることを新聞、雑誌を通じて知つていたところ、回生会藤田病院の治療では病状の改善が捗々しくなく、足の痛みが頸部から来ていることが確認できたため、前記のとおり押川整形外科医院へ転院した。

右入退院等の費用の内訳は、入院時の費用一万八六〇〇円(大阪・宮崎間の航空運賃一万六三〇〇円、宮崎空港から右病院までのタクシー代二三〇〇円)、退院時の費用四〇九〇円(右病院からJR宮崎駅までのタクシー代六〇〇円、同駅とJR日向駅間の運賃一九九〇円、同駅から日向市内の実家までのタクシー代一五〇〇円)、右実家からの通院費用八一八〇円(右退院時の費用の倍額にあたる一往復分)及び大阪への交通費(日向港から大阪港へのフエリー代)一万五四二〇円である。

(4) 平野警察署及び大阪地方検察庁への出頭費用 六〇〇〇円

回生会藤田病院からの出頭に要した費用は、各一往復が各三〇〇〇円である。

(四) 後遺症診断書代(回生会藤田病院における後遺症診断書代)五一五〇円

(五) 休業損害 一〇四四万三六八八円

原告は、平成元年四月、有限会社榮建工務店に入社し、本給及び歩合給から成る給与収入を得ていたところ、本件事故前三か月間(平成元年五月分から同年七月分まで)に得た給与収入(但し、同期間中に成約し同年八月以降に支給された歩合給及び支給されるべき歩合給を含む。)は、合計二四一万二四四〇円(日額二万六二二二円)であり、本件事故により、少なくとも四〇四日間(症状固定の平成二年九月八日まで)休業を余儀なくされた(但し、平成元年八月に本給一五万円を支給された。)から、休業損害は、次のとおりとなる。

二六二二二×四〇四-一五〇〇〇〇=一〇四四三六八八

(六) 後遺障害による逸失利益 七二二七万一四五八円

原告は、本件事故により前記後遺障害を残し、その労働能力を六七パーセント喪失した。原告が、本件事故当時の高収入を永続的に維持できるかはともかくとしても、同人は大学卒であるから、本件事故がなければ、三六歳(症状固定時)から六七歳までの三一年間、少なくとも年間五八五万五七〇〇円(昭和六三年賃金センサスによる大卒男子三五ないし三九歳の平均賃金額)の収入を得られた蓋然性があるから、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して逸失利益を計算すると、次のとおりとなる。

五八五五七〇〇×〇・六七×一八・四二一=七二二七一四五八

(七) 慰謝料(入通院慰謝料及び後遺障害慰謝料) 一一〇六万円

本件事故による入院期間(四・五か月間)、通院期間(症状固定日まで九か月間)、前記の後遺障害の程度等を考慮すると、原告の肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料は、右額が相当である。

(八) 損害小計(右(一)ないし(七)の合計) 九七〇五万六一四九円

(九) 損害の填補 五三二万六六三四円

原告は、損害の填補として、自賠責保険金七五万円、前記一(1)(2)の治療費、社会保険からの傷病手当金一二六万八六三四円、被告加入の保険会社から四〇万円(以上合計五三二万六六三四円)の、各支払を受けた。

(一〇) 弁護士費用 七〇〇万円

原告は、原告訴訟代理人に本件訴訟の追行を委任し、相当額の報酬の支払を約しているところ、本件事故と相当因果関係のある損害として被告に賠償請求しうる弁護士費用としては右額が相当である。

5  よつて、原告は被告に対し、自賠法三条本文に基づく損害賠償として九八七二万九五一五円及びこれに対する本件不法行為の日である平成元年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1、2はいずれも認める。

2  請求原因3の(一)は認める。

同3の(二)は否認する。

原告の症状は、頸部痛などの自覚症状が主体であつて、他覚的な異常所見は認められず、自動車保険料率算定会による後遺障害等級事前認定において一四級一〇号(局部に神経症状を残すもの)に該当すると認定され、異議申立の結果も同様であり、これを超える後遺障害はない。

なお、頸椎装具(カラー)は、頸部に器質的変化がある場合に適応となるものであつて、器質的変化がなければ、長期装着による頸部の筋力低下を避けるため、せいぜい二週間程度を限度として装着されるものであるところ、原告は、医師の指示に反して、長期にわたつて装着しており、これによる筋力低下などの弊害については、本件事故と相当因果関係がない。

症状固定時期は、原告の自覚症状の推移からみて、平成元年一〇月一八日ころと考えられ、仮にそうでないとしても、同年一二月末日である。

3(一)  請求原因4の(一)のうち、(1)(2)(3)の各金額は認め、その余は否認する。

原告のカルテ等には、回生会藤田病院への入院当初から神経学的には著変はないと記載されている。したがつて、当初の入院は、他覚的に特に異常を認めない患者の経過観察程度であつたと思われ、同病院への二回目の入院(平成元年八月一五日から同年一〇月一八日まで)は本件事故と相当因果関係が認められず、通院治療で十分であつたと考えられる。又、平成元年一〇月一八日には症状固定の状態にあつたから、同日以後の全ての治療は本件事故と相当因果関係がない。

(二)  同4の(二)は否認する。

(三)  同4の(三)については、(1)は認め、(2)のうち一往復分が四〇〇円であることは認め、その余はいずれも否認する。

(四)  同4の(四)は認める。

(五)  同4の(五)ないし(七)はいずれも否認する。

原告は、休業損害につき、取引が成約しただけで、事故以前に実際には支給されていない歩合給をも算定の基礎としており、不当である。さらに、原告はその主張する会社に勤務し始めて間がなく、同社では一、二か月で退職する社員が多い上、原告が本件事故後も不確定な歩合給を得られるとは限らないので、これを考慮すべきではない。

(六)  同4の(九)は認める。

(七)  同4の(一〇)は否認する。

三  抗弁

1  身体的素因及び心因的要因の寄与

(一) 原告の治療が長期化したことには、原告の既往症であるバセドウ病(甲状腺機能亢進症)が寄与している。すなわち、原告は、昭和六三年一〇月以降、右疾病の治療を続けている。

(二) 原告の症状は、同人の心理的要因によるところが大きい。

右により、損害額の算定にあたつては、公平確保の見地から、これら要因の寄与を考慮して、相当の減額がされるべきである。

2  過失相殺

被告は、赤色点滅信号に従つて、本件交差点手前で一時停止し、パツシングをした上、時速約一五ないし二〇キロメートルで本件交差点に進入したところ、右方から時速約三〇キロメートルで進入してきた被害車と衝突した。原告は、対面信号の表示が黄色点滅であつたから、徐行するなど他の交通に注意して進行すべき義務があり、パツシングによる加害車の合図により、その進入を容易に認識できる状態にあつたのに、これを認識しなかつた過失があるほか、シートベルト不着用の過失があるから、少なくとも三割の過失相殺がされるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、原告にバセドウ病の既往症があることは認め、その余は否認し、争う。

2  抗弁2は否認し、争う。

交差点手前でパツシングするのは、自車の方が交差する他車よりも早く交差点を通過できるし、通過しようとしていることを他車に知らせるためであることからみて、被告が一時停止したとは考えられない。又、被告は、赤色点滅信号を無視し、時速約五〇ないし六〇キロメートルで本件交差点に進入したものである。このことは、本件衝突後、加害車とほぼ同じ大きさの被害車が、右斜め前方へ約一〇メートル押され、停車中の車に衝突してようやく停止した事実からも明らかである。

第三証拠

本件記録中の証拠目録記載のとおり。

理由

一  事故の発生及び責任

請求原因1(本件事故の発生)、2(自賠法三条本文に基づく責任)は、いずれも当事者間に争いがない。そうすると、被告は、自賠法三条本文に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任を負う。

二  入通院経過、症状固定時期及び後遺障害

1  請求原因3の(一)(入通院経過)は当事者間に争いがない。

2  同3の(二)(症状固定時期及び後遺障害)について判断する。

(一)  症状経過及び治療内容

(1) 前記争いのない事実に甲第一号証の一一ないし一三、第二号証の一ないし八、第三号証の一ないし四、第四、五号証、第七、八号証の各二、第九号証、乙第五、六号証、第八号証、第九号証の一、二、第一二、一三号証、証人小田恭弘及び同和田尋二の各証言並びに原告本人尋問の結果(第一、二回)を総合すれば、次の事実が認められる。

原告(昭和二九年八月一一日生)は、本件事故直後、救急車で回生会藤田病院に搬送され、頭部外傷Ⅱ型(脳震盪型)、外傷性頸部症候群、左下腿・左足関節打撲、腰部挫傷の傷害を受けたと診断された。各種検査の結果、神経学的に特に異常はなく、頭痛、頸部痛、頸部から肩にかけての痛み、悪心等の自覚症状が主体であつたため、経過観察及び安静保持の目的で入院となり、平成元年七月三一日に退院するまで、湿布・点滴等の保存的療法が施されたが、右自覚症状に格別の変化はなかつた。翌八月一日、原告は、職場に復帰し、勤務のかたわら同病院に通院して頸椎の間歇牽引、湿布、運動療法等の理学療法を受けたが、頭痛、頸部痛や吐気のため、同月一三日以降は勤務できなくなり、医師の指示により同月一五日から同病院に再入院した。同日の診察では、自覚症状として従前の症状のほか耳鳴りを訴え、他覚的所見として視力低下(調節視力障害)が認められた。右の再入院中、頸椎の持続牽引、投薬、運動療法、湿布、針、点滴等の治療が続けられたが、右症状に変化はみられなかつたため、原告は、郷里に近い宮崎市の押川整形外科医院で、高名な医師による神経ブロツク療法を受けたいと希望するようになり、同年一〇月一八日、右藤田病院を退院し、同日、押川整形外科医院に転院した。

原告は、同日、同医院に入院し、外傷性頸部症候群と診断されて、頸部持続硬膜外チユービング、星状神経節ブロツク、頸部・胸部・腰部硬膜外ブロツク、温熱療法、運動療法、消炎鎮痛療法等の治療を受け、同年一二月一八日退院した。そして、日向市の実家に戻り、同月二七日同医院に通院し、同様の治療を受けた。右通院には、長時間を要するため、これより先の同月二一日から平成二年一月四日まで、日向市の大久保外科胃腸科医院に通院し、同様の治療を受けた。この間、著明な他覚的所見はなかつたが、頸部痛、頭痛、耳鳴り等の自覚症状は、時に変化するものの、ほとんど改善されなかつた。そして、原告は、同月六日ころ帰阪し、同日ころ以降約一週間、職場に出て仕事しようとしたが、下肢痛等のため、稼働できなかつた。

原告は、平成二年一月八日以降、回生会藤田病院に再び通院するようになつた。右時点での症状は、左上下肢痛が加わつたほか前年一〇月の退院時とほぼ同内容の自覚症状が頑固に続いていた。平成二年一月には、担当医は、原告の病状には心因性の要因が作用していると考えるに至り、運動療法、針治療等のほかに抗うつ剤の投与を開始した。しかし、その後も症状の軽快はみられなかつた。

同年五月九日の診察時には、頸椎伸展時における頸椎周辺の痛みや坐位時における腰臀部から両下肢にかけての放散痛が主訴であつたが、他覚的には、頸椎の運動制限や四肢の知覚障害、運動障害、明らかな圧痛点はなく、健反射はいずれも正常域にあり、神経伸展テストの結果にも異常は認められなかつた。右診察時に、医師は、頸椎の運動量を調節するべく、頸推装具(フイラデルフイアカラー)を装着させ、約二週間経過観察をしたが、さしたる効果はなかつたものの、原告には、その装着により頸部痛等が緩和すると感じられたため、以後装着のままである。

原告の症状は、その後も、格別の変化なく推移したので、同年九月八日、同病院整形外科の濱田医師は、原告の申出に基づき、同日を症状固定日とする自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書を作成した。右書面には後遺障害の内容として、頸椎部の運動障害が、後屈二〇度、前屈・右屈・左屈・右回旋・左回旋いずれも四〇度であり、「左上肢、躯幹及び下肢に知覚鈍麻と腱反射の亢進あり。後頸部痛、左上・下肢に強度の疼痛が生じるため頸椎装具の装着が常時必要な状況である。また左下肢の放散痛が生じるため一〇分以上の歩行は不能であり、就業困難と認められる。頸椎MRI検査で頸椎椎間板症変化あり右症状の因となり得る。」と記載されている。しかしながら、右記載は、濱田医師が、原告の自発的な社会復帰を企図して、その主訴を、心因反応的な症状も含め、全てそのままに挙げたものである。

(2) 鑑定の結果によれば、平成五年五月一九日現在、原告には、〈1〉座つていると頸部が痛む、〈2〉思考が落ちている、〈3〉両眼が痛く、顔が腫れる、〈4〉常時耳鳴りがする、〈5〉左下肢ほか各部位が痛む等の自覚症状があり、苦痛がかなり強いことが窺われるが、他覚的には、頸椎部の局所的所見、すなわち、頸椎の運動制限(側屈が左右とも二五度で制限がある等)や頸椎部C4―5、C5―6に中等度の椎間板変性と軽度の異常可動性が認められるほかは、神経学的に顕著な異常所見はないこと、頸部には顕著な器質的病変(病態生理的に重篤な病変)はなく、歩行障害・手指巧緻運動障害等の運動障害もないことが認められる。

(二)  症状固定時期及び後遺障害

鑑定の結果によれば、一般に、外傷性頭頸部症候群は、頸部の軟部組織の傷害を基盤として頭頸部に多彩な愁訴をきたす場合の診断名であり、その病状は、時に自律神経系の障害を呈して、必ずしも理論的に説明し得ない種々の愁訴が続くことがあること、右症状は、通常は二、三週から数か月のうちに改善することが多く、長くても受傷後一、二年で改善又は固定すると考えられていることが認められるところ、以上に記述のとおり、原告の症状経過に著しい変遷は認められないものの、本件事故の態様は原告の頸部に相当程度の衝撃を与えうるものであつたことや、外傷性頸部症候群の一般的な病像・経過に照らすと、原告は、平成二年九月八日ころ、右(一)(2)記載の鑑定時の所見と同様の、頸椎及び左上下肢等の局部の神経症状を後遺障害として(但し、頸椎の運動制限の有無・程度には、前記認定のとおり変遷がみられるし、運動制限がある場合も痛みによるものと考えられるから、右の制限は自覚症状とみるのが相当であり、又、椎間板の変性・異常可動性は加齢によるものである可能性が強いから、本件事故の後遺障害と断定することはできず、結局、原告の後遺障害の程度は、自賠法施行令別表の後遺障害等級表に照らせば、一四級一〇号に該当する。)症状固定に至つたものと認めるのが相当である(鑑定の結果も同旨。)。

(なお、被告は、原告が、医師の指示に反して頸椎装具を長期装着したことによる筋力低下等の弊害については、本件事故と相当因果関係がない旨主張する。前記のとおり、原告は平成二年五月に頸椎装具を装着し、現在に至つているところ、証人濱田及び同河合伸也の各証言、原告本人尋問の結果(第二回)並びに弁論の全趣旨によれば、筋力低下を避ける観点から右装具の長期装着は望ましくないとはいえ、前記のとおり苦痛が緩和されることもあつて、医師が装着の事実を認識しながら、中止するよう指示したことはなかつたことが認められ、さらに、長期装着により原告の頸部に筋力低下等の弊害が生じたことは本件全証拠によるも認められないから、被告の右主張は採用しない。)

三  損害

1  治療費 二九八万四八六三円

鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば、回生会藤田病院への再入院(平成元年八月一五日から同年一〇月一八日まで)は必要であつたこと、平成二年九月八日ころの症状固定に至るまでの治療は適切に行われていることが認められるから、請求原因4(一)記載の各病院での治療費は、いずれも本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。

そして、右(一)のうち、(1)(2)(3)の各金額は当事者間に争いがなく、(4)の金額は甲第九号証により認められる。

2  入院雑費 一七万九四〇〇円

原告が本件事故により合計一三八日間入院したことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、この間、雑費として一日当たり一三〇〇円の支出を要したことが認められる。

一三〇〇×一三八=一七九四〇〇

3  交通費 一〇万五五九〇円

(1)  回生会藤田病院入退院時のタクシー代(三回分) 四五〇〇円

右費用として、合計四五〇〇円を要したことは当事者間に争いがない。

(2)  回生会藤田病院への通院バス代 五万四八〇〇円

原告が同病院に合計一三七回通院したこと、通院一回当たりの往復のバス代が四〇〇円であつたことは当事者間に争いがなく、右通院がいずれも必要であつたことは前記のとおりである。

(3)  押川整形外科医院入退院等の費用 四万六二九〇円

同医院への入院は、前記のとおり、本件事故後約三か月が経過しても、なお外傷性頸部症候群の症状が続いたため、原告が高名な医師によるブロツク療法を受けることを希望したことによるものであるところ、後記認定のとおり、当時、原告は就労できない状態にあつたから、右入、通院治療の必要性を肯定することができる。そして、原告本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、その交通費として請求原因4(三)(3)記載の各金額を要したことが認められる。

(4)  平野警察署及び大阪地方検察庁への出頭費用 〇円

自賠法三条に基づき請求できる損害は、「他人の生命又は身体を害した」ことによる損害(いわゆる人身損害)に限られるところ、右の費用がこれに当たらないことは明らかである。

4  後遺症診断書代 五一五〇円

右費用を要したことは、当事者間に争いがない。

5  休業損害 五六三万七三四一円

(一)  乙第二、第三号証、第四号証の一、二、原告本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成元年四月二七日から有限会社榮建工務店に勤務して営業を担当し、同年五月及び六月には本給として各三〇万円の、同年七月には本給二〇万円と付加給(六月成約分の歩合給)六六万八八〇〇円の合計八六万八八〇〇円の、同年八月には本給一五万円と六月成約分の歩合給五二万九八〇〇円の、同年九月には六ないし七月成約分の歩合給二六万三八四〇円の、各給与の支払を受けたこと、右のとおり、原告の給与内容は、入社後二か月間は固定額であつたが、三か月目以降は、本給が減額される一方、歩合給(営業活動により成立させた取引の手数料)の支給が開始されたこと、同社に入社した社員は、営業成績が上がらず一、二か月で退社する者が多いこと、原告は、大学卒業後、受験勉強や独自の研究開発等に取組んできたため、従前に就労経験はなく、本件事故までの勤務期間は三か月に満たないこと、原告の平成元年六月の営業成績は優秀であつたことが認められる。

(二)  右認定事実や歩合給は本質的に不安定なものであることに照らすと、本件事故がなければ、原告が同社に継続して勤務し、その給与月額が平成元年五ないし七月の三か月間に受領した右給与と、同期間中に成約し、同年八月以降に受領した右歩合給の合計額の三分の一(七五万円余)以上であつたという蓋然性があるとは認められないから、休業損害の算定に当たり、右の平均額を基礎とすることはできない。そこで、原告の収入については、平成二年賃金センサス(平成三年版)第一巻第一表の産業計・企業規模計・新大卒の三五ないし三九歳の男子労働者の年間平均賃金である六三二万一〇〇〇円(日額一万七三一七円)と認めるのが相当である。

ところで、前記認定の各事実に証人河合の証言及び鑑定の結果を総合すれば、原告は、本件事故により、平成元年七月二一日から同二年二月一八日(押川整形外科医院の退院から二か月後)まで二一三日間就労不能(但し、同元年八月一日以降一二日間、会社に勤務したが、右勤務には無理があり、その直後に入院治療のやむなきに至つたことは前認定のとおりであり、後記のとおり、右勤務の結果支給された給与分を休業損害から控除しているので、二一三日間全てを就労不能とする。)となり、その後、症状固定に至つた平成二年九月八日まで二〇二日間、労働能力を全体として六〇パーセント喪失したと認めるのが相当であり、前記のとおり、原告は、平成元年八月に本給一五万円を受領しているので、休業損害は、次のとおりとなる。

一七三一七×(二一三+二〇二×〇・六)-一五〇〇〇〇=五六三七三四一

(小数点以下切捨て)

6  後遺障害による逸失利益 一五五万五五九八円

原告は、前記二の後遺障害を残して平成二年九月八日ころ症状固定に至つたところ、鑑定の結果によれば、右後遺障害は、平成五年五月一九日当時もほぼ持続していたこと、その後症状が長く続く可能性や将来的に増悪する可能性は考え難く、気分転換や心理療法などをして、ある程度の時期が過ぎれば軽減するものと考えられることが認められる。さらに、前記後遺障害の内容程度等諸般の事情を総合考慮すれば、原告は、平成二年九月八日ころ(満三六歳時)から同八年九月八日ころ(満四二歳時)までの六年間にわたり、その労働能力を五パーセント喪失したものと認められる。

そして、原告の収入は、前記のとおり、年額六三二万一〇〇〇円と認められるから、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右六年間の逸失利益の本件事故時における現価を計算すれば、次のとおりとなる。

六三二一〇〇〇×〇・〇五×(五・八七四三-〇・九五二三)=一五五五五九八(小数点以下切捨て)

7  慰謝料(入通院慰謝料及び後遺障害慰謝料) 二五〇万円

前記入通院期間、症状内容及び後遺障害の内容さらに、原告は本件事故当時優秀な営業成績を上げ、高額の歩合給を得ていたが、右収入を格別考慮しなかつたこと等本件に顕れた一切の事情を総合して勘案すると、入通院慰謝料は一五〇万円、後遺障害慰謝料は一〇〇万円をもつて相当と認める。

8  損害小計

右1ないし7の各損害を合計すると、一二九六万七九四二円となる。

四  身体的素因及び心因的要因の寄与(抗弁1)

1  身体的素因

甲第六号証、乙第七号証、第一〇号証の一、二及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、一〇代半ばころ、バセドウ病を発症して手術を受けたが、昭和六三年七月ころ、再び同病の症状が発現したこと、そこで、同年一一月二日から隈病院に通院して薬の大量投与を受け、平成元年二月ころには症状は治まつたが、再発防止のため、引き続き、本件事故時及び前記治療期間を通じて投薬治療を受けていたことが認められる。

しかし、乙第七号証及び鑑定の結果によれば、一般的に右疾病が本件事故による症状に影響を与えうるのは最盛期のみであり、原告の右疾病による症状は本件事故以前に最盛期を過ぎて落ち着いた状態にあつたことが認められるから、右疾病が、本件事故の治療過程の遷延及び後遺障害の増幅に寄与したものと認めることはできない。

2  心因的要因

甲第六号証によれば、原告は、前記隈病院において、不眠、体調不全等を訴え、うつ状態との診断の下、本件事故当時まで、抗うつ剤の投与や標準型精神分析療法を受けていたことが認められる。

右事実に前記二(入通院経過、症状固定時期及び後遺障害)の各事実、証人小田及び同濱田の各証言並びに鑑定の結果を総合すると、本件事故による原告の愁訴の多くは、その心因的要因により、無意識的に増幅されて自覚され、それに基づいて表現されたものと解釈せざるを得ず、とりわけ平成二年一月以降は、その傾向が顕著であると判断できる。

したがつて、原告の症状経過及び後遺障害は、本件事故によつて通常発生する程度、範囲を超えるものであり、かつ、その損害の拡大には原告の心因的要因が相当程度寄与したものといわざるを得ないので、当事者間の公平確保という損害賠償法理の理念からみて、民法七二二条二項を類推適用して損害の拡大に寄与した右事情を斟酌するのが相当である。本件において右事情を総合考慮すれば、前記損害額から、その二割を減じるのが相当である。

五  過失相殺(抗弁2)

1  甲第一号証の二ないし七、九、一四、検乙第一ないし四号証、原告本人尋問の結果(第一回。但し、後記信用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

本件交差点は、別紙図面のとおり、南北に通じる道路(両外側に幅員各二・四メートルの歩道のある幅員五・八メートルの片側各一車線の道路で、制限速度は時速二〇キロメートル、以下「南北道路」という。)と東西に通じる道路(南側に幅員一ないし一・八メートルの歩道のある幅員六ないし六・六メートルの片側各一車線の道路で、制限速度は時速三〇キロメートル、以下「東西道路」という。)とがほぼ直角に交差する市街地内の交差点(信号機は設置されているが、午後一一時以降は点滅信号となる。)であり、加害車、被害車いずれの進行方向から見ても、左右の見通しは悪く、夜間は暗い。事故現場周辺の道路は、平坦なアスフアルト舗装で、本件事故当時の天候は晴れで路面は乾燥しており、交通は閑散であつた。

被告は、加害車の助手席に知人を乗せ、南北道路を本件交差点付近まで南進してきたところ、本件交差点の対面信号が赤色点滅を表示していたので、別紙図面〈1〉地点付近で一時停止したが、左右の見通しは悪かつた。そこで、少し右方を見て、念のためパツシングをしながら発進し、同〈2〉地点付近で左方の安全を確認したものの、右方の安全を確認することなく、時速約二〇キロメートルに加速進行したところ、助手席の知人が被害車に気づき「あつ」と叫んだので、はつとした瞬間、同〈3〉地点において加害車前部を同イ地点の被害車の左側面前部に衝突させた。これにより、加害車は南東方向へ進んで〈4〉地点付近で停止した。右のとおり、被告は、衝突するまで被害車には気づいていなかつた。

原告は、東西道路を時速約三〇キロメートルで別紙図面ア地点付近まで東進した際、本件交差点の対面信号が黄色点滅を表示していたので左右を見たが、加害車には気づかず、そのまま進行し、前記のとおり衝突して、右前方へ斜走し、同ウ地点で本件交差点南東角にある駐車場に駐車中の〈A〉車と衝突して停止した。原告は、本件事故当時、シートベルトを着用していなかつた。

原告本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らし、たやすく信用できないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  右認定の事実によれば、被告には、本件交差点の左右の見通しが悪く、対面信号が赤色点滅を表示していたのであるから、停止位置で一時停止するのはもとより、左右の安全を十分確認して進行すべき注意義務があつたにもかかわらず、停止位置で一時停止し、パツシングの上、左方の安全を確認しつつ進行したものの、見通しのきく位置において再度停止するなど右方の安全を確認せずに漫然と加速進行した過失があり、原告には、本件交差点の左右の見通しが悪く、対面信号が黄色点滅を表示していたのであるから、減速するなどして他の交通に注意して進行すべき注意義務があつたのに、特に減速することなく、左方の交通に十分注意を払わずに漫然と進行した過失及びシートベルトを着用していなかつた過失があるといわざるを得ない。

そして、その過失割合は、被告が七割、原告が三割と認めるのが相当である。

六  損害の填補

五三二万六六三四円の損害が填補されていることは当事者間に争いがない。

七  弁護士費用 二〇万円

本件事案の内容等一切の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当損害額は二〇万円と認められる。

八  結論

以上のとおり、原告の請求は、別紙計算書のとおり、二一三万五四一三円及びこれに対する本件不法行為の日である平成元年七月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 下方元子 水野有子 村川浩史)

(計算書)交通事故現場見取図

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